2007年11月29日

『てんつば』

『てんつば』


にぎり飯に雨が中る。
濁つた雨が中る。
それを僕は食らう。
けがれた飯を食らう。


僕がけがした訳ではないが
僕らがけがした雨なので


食らう。


皮膚に雨が中る。
濁つた雨が中る。
傘も差さず浴びる。
けがれた雨を浴びる。


僕がけがした訳ではないが
僕らがけがした雨なので


浴びる。


脳に雨が滲みる。
濁つた雨が滲みる。
濁つた雨に冒されて


溶ける
溶ける
溶ける。



雨水は天水で甘水なのに
雨水は天水で甘水なのに


(森田ぢゆ 詩集『てんつば』より抜粋)


こちらもどうぞ『琉球舞台』

  

Posted by koujun at 00:00Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月27日

重複人格障害

病院から書き込んでます。
携帯で書き込んでいます。
ケータイって便利ですね。
いまさらですけど。
どうも、コウジュンです。



久しぶりにテレビを見た。
久しぶりにテレビを見たら、『重複人格障害』の事をアチコチの局が報道していた。
あれだけ大々的に報道しているのだから、世間の人は『重複人格障害』が何なのか知っているのだろうけど、僕は知らない。
なのでネットで調べる。
便利ですね、インターネット。


僕みたいに知らない人もいるだろうから簡潔に説明してみる。


『多重人格障害』が一人の人間が複数の人格を有するのに対し、『重複人格障害』正確には『遠隔性重複性障害』(Remote duplication of disorder=Rdd)は、数人の人間が一つの人格を共有する障害。
世界で始めて確認されたのは1899年で、ベルリンに住む男性、同じくベルリンに住む別の男性(この二人は面識はない)オルデンブルグに住む男性の三人が、自分は『ウォーレン・サムソン』であると言い出した事に始まる。
全く違う場所に住んでいた人間が、『ウォーレン・サムソン』という一つの人格を共有していたのだ。三人が語る『ウォーレン・サムソン』の生い立ちは完璧に一致していたという。(ベルリンに住む二人の男に関しては、本当に面識がなかったのか疑問が残るが)
しかし、精神障害の概念が乏しかった時代のせいで、三人は山師扱いされ、病院やそれに類する施設で憐れな最後を迎えた。
後にカール・グスタフ・ユングが集合的無意識(Kollektives Unbewusstes) 論を発表し、人間の心理は深層下で融合している事を示し、『重複人格障害』が起こりえる事であると証明したのは有名な話。


その『重複人格障害』が、この日本で『山田洋行問題』を差し置いて騒がれている。
なんでも、『遠藤けんじ(漢字がわからない)』と名乗る人物が16人現れたらしい。
『重複人格障害』の疑いがあると、報道されていた。
でも、本当に『重複人格障害』なのかな。
今やインターネットの時代だ。
昔と違って、離れた所に住んでいても、情報の共有は出来ると思う。
でも、わざわざそんな事をする意図はわからないけど。


そう言えば今朝、母が妙な事を僕に言った。
僕に向かって「ケンイチ!」と言う。
息子の名前を間違えるなんて、最低だと思ったので無視をしたら、聞こえないの!と怒鳴られた。
頭にきたので、「誰だよ!ケンイチって!俺は孝淳だよ、コウジュン!」
と言い返したら、母の顔は見る間に青ざめていった。
急激に人の顔色が変わるの初めてみた。


母は何故か慌て出し、父までやってきて「ケンイチ!お前はケンイチだよな!」と訳の分からない事を言うので、我那覇孝淳だよ!と頑なに言うと、有無を言わさず車に乗せられた。


なんなんだよ。


ん?
あれ?
父は今、糖尿病を患って入院中だよな。
あれ?
誰だ、あの男は。
いやいや、父だよな。


ん?
なんで車のナンバーが『品川』なんだ?
ここは沖縄だよな?
あれ?
どこだここは。


病院に着いたら、我那覇孝淳と名乗る奴等が34人いた。



こちらもどうぞ『琉球舞台』


  

Posted by koujun at 00:00Comments(0)TrackBack(0)雑記

2007年11月24日

『赤い花』

『赤い花』


あたしのパパはひょうきんパパ。
いつもあたしを笑わせる。
いつもヨウちゃん笑わせる。
あたしとヨウちゃん笑わせる。


今日もお家のベランダの
手摺に乗って宙返り。
クルッと回って変な顔。


あたしのパパはひょうきんパパ。
いつもわたしを笑わせる。
いつもヨウちゃん笑わせる。
あたしとヨウちゃん笑わせる。


今日もお家のベランダの
手摺に乗って宙返り。
クルッと回って翔んでった。
真っ逆さまに翔んでった。


頭が破れて変な顔。
頭が割れて赤い花。


大変、大変、パパ大変!!
ちっちゃな、ちっちゃな、ヨウちゃんが
おメメつぶって見てないの!
パパが翔ぶとこ見てないの!
だからお願いが、も一度やって。


クルッと回って変な顔。
クルッと回って赤い花。



(森田ぢゆ 詩集『とおりやんせ』より抜粋)


にほんブログ村 小説ブログへ  

Posted by koujun at 00:00Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月22日

コンパ

三日程前に、コンパのお誘いのメールを貰った。
二度目だ。
お誘い頂くのは、たいへん有難い事ではあるが、僕のコンパ嫌いはゴジラの声がコントラバスの逆回転音なんだぜベイベー!というくらい有名な話だ。


やらず嫌いはよくないので、数年前にコンパに行ったが、あまりのクダラナサに途中で抜けて古本屋さんに行った。
いま思えば、失礼な事をした。


そしてつい最近、コンパのお誘いのメールを貰った。
二度目だ。
同じ人から。
一度目はスケジュールの空きが無いと言うことで断った。
今回はなんと言って断ろう。


コンパの何が楽しいのか。
全く理解できない。
初対面の人と何を話せばよいのやら。
どうせ、コンパなんてセックスしたい男と女が棒と穴を探して、湯葉のような薄~い話で惰性で盛り上がったりするんでしょ。


そんな事に時間とお金を使いたくは無い。


なんて言って断ろうかな~。めんどくせ~な~。
ホント、めんどくせ~。
・・・・・・行くか、コンパ。


と言う事で行ってきました。コンパ。
看護婦さんでした。
もちろん、ナース姿じゃないけど。


みんな綺麗な人ばかりでしたが、綺麗すぎて余計に僕はしゃべれませんでした。
30分で早くも帰りたいモード。
僕以外の男達はよくしゃべります。
勘弁してよ。
帰りた~~いよ~~。


もう無理。
そっと逃げようとした時に、同じようにソワソワしている女の人と目が合いました。
無口だな~と、ずっと気になっていた人でした。
目と目が合ったので、仕方なく話しかけました。
大して盛り上がった訳ではないけれど、最後までこの人とおしゃべりして、成り行きで連絡先の交換までしました。
ドキドキしました。
コンパって意外と楽しいかも。
イヤイヤイヤ、今回はたまたま気の合う人がおったからじゃ!


数日たって、向こうからメールがありました。
断る理由もないので逢いに行きました。


僕は芝居の稽古、彼女は看護婦。
なかなか時間の歯車が噛み合わないまま、数年が過ぎました。
彼女は、何も言わないけど、僕はわかっていました。
わかっていたので、芝居を辞めて彼女と結婚し、女の子を二人授かりました。


30を過ぎた高卒の男が、妻と二人の子を養う為にいまさらながら社会に出て真面目に働きました。
もちろん上司は十以上も年の離れた方々です。
僕がミスやヘマをしても、一応は僕が年上なので、
「我那覇さん、これくらい大丈夫ですよ~(笑)」
と笑顔で言ってくれますが、その瞳の奥は遥か銀河の彼方から僕を見下ろしています。


こちとら、芝居で培った人間観察眼があるんじゃ!!
そんな事くらいお見通しじゃ!!


仕事を終えて、妻の実家にいる二人の子供を向かえにいきます。
僕の稼ぎが骨粗鬆症並にスカスカなので、妻は看護婦を続けています。


二人の子供の小さな手を、右手と左手にそれぞれ繋ぎ、三人並んで夜道を安アパートまで歩きます。
歩きながら、いまだに舞台で輝いている新垣晋也や、時々テレビで見かける内田周作を思うと、なんだか涙が出てきます。
幸せなのにな。
幸せなのに。


綺麗で働き者の妻がいて、賢くて可愛い子供もいて、幸せじゃない筈はないのに。


ふと。
あの頃に戻りたいと思うのです。
2007年11月24日の、あのコンパの日に。
もし、あの時、コンパに行かなければ・・・。


戻ろう!
あの日に!
さようなら美佐枝!いままでありがとう!
さよなら、美香と綾香!もう、生まれてくることは無いけど。
こんなパパをゆるしてね。





コンパ行くのや~~~~~めた!!
  

Posted by koujun at 00:00Comments(0)TrackBack(0)雑記

2007年11月15日

知ってはいるが、識らないと云う事

知ってはいるが、識らないと云う事がある。


この瞬間にも、世界には死にゆく子供達がいる。
そんな事くらい多くの日本人は知っている。
が、実際の現状を識っているわけでは無い。


例えば、4円で失明や病気から子供を守れるビタミンA剤を一つ届ける事が出来る。


例えば、14円で鉛筆やノートを贈る事が出来る。


例えば、18円で一人の子供を麻疹から救えるワクチン一回分を打つ事が出来る。


例えば、100円でポリオのワクチンを7つ作り、7人の子供を救える。


救える可能性が有るのだ。
地べたに落ちているアルミニウムの円盤でも。


しかし、多くの日本人はその、落ちているアルミニウムの円盤を、直径2センチの円盤を無視するだろう。


『魚を与えるのでは無く、釣り竿を与えるべきだ』
という意見もあろう。
しかし、彼らはその釣り竿を持つ力さえも無いのだ。


所詮は対岸の火事。


それは、私に言わせれば、
100人が失明すれば、400円が浮く。
1000人が麻疹に罹れば18000円が浮く。
70000人がポリオで死ねば1000000円が浮く。
という極めて卑しくいじましい意見にしか聞こえない。


ならば、私は逆に問う。


一日に吐き出される排気ガスの量を半分に削減するには、何人の自動車免許保持者を殺せばいいのだ。
緑地が伐採され、砂漠化してゆく大地を救うには何人の、



「これは、ちょっと」
記事には出来んな。
モータースポーツ専門誌『スーパーモート』の編集部、小倉和己は呟いた。
彼は、フリーライター間宮章信に、モータースポーツとエコロジーをテーマにコラムを依頼した。
取材の過程で何が有ったのかは知らないが、小倉のPCメールに送られて来た原稿は、彼の意図したものとは違っていた。


小倉と間宮の付き合いは長い。
間宮の記事は例え小さなコラムでも、徹底した取材の裏付けが有った。
トラツグミの生態の記事を書くのに、この渡り鳥がやってくる季節の気象を詳細に調べたりする。
それは、無駄では無いかと言えば、この知識はいずれ役に起つと言う。
そして実際に別の記事にその知識は生かされるのだ。
取材に入れ込み過ぎ、文章が多少感情的になる場合もあったが、それも一つの『味』だった。


そんな間宮が書いた、今回の記事は、少し異常だった。
いくら、いつもの様に取材に没頭していたとしても。
テーマの的からずれているし、文字数の制限も遙かに超えていた。
小倉が知る限り、間宮はこのような事は一度もなかった。


編集部として、小倉は書き直しのメールを間宮に送った。
長い付き合いの中で初めての事だった。
しかし、朝になっても間宮からの返信は無かった。
これもまた、長い付き合いの中で初めての事だった。


間宮がメールを返信できる精神状態では無かった事を、小倉が知ったのは、朝のテレビ番組『グローバルモーニングシックス』で38人を殺害した通り魔殺人の報道を見た時だった。






  

Posted by koujun at 00:00Comments(0)TrackBack(0)小説

2007年11月03日

遺書

年に一度は自殺を考える。
数年前は、正体不明の厭世感に挫けそうになって、そう謂う事を考えたりしたが、最近は興味本意に考える。


死後の世界の存在の有無。
有るのならば、どんなトコロなのか。


『どんな所』と書くのを、『どんなトコロ』と書いている事からして、非常に死を軽く考えている。


自殺をしてはいけません。


巷ではそう言いう風潮が張りつめている。


何故かと問えば、道徳的見地から、倫理的見地から、人情的感情からの理論と哲学の縄で雁字搦めて説得される。


その中で、一番強い縄は、宗教的思想だろう。


自殺したら浮かばれませんよ。と。
自殺しても苦しみからは解放されませんよ。と。
地獄行きですよ。と。



中学生の時、歴史の時間に仏教の伝来を習った。
最澄と空海のハナシ。


真言宗の祖である空海の即身成仏に途轍もない違和感を感じた。
空海は生きたまま仏に成るために穴蔵に入ってミイラになった。
それは単なる自殺ではないのか?
仏教を深く深く深淵の果てまで学んだ人からすれば、僕の考えは浅はかだと言うだろう。
しかし、いくら空海の所業を神格化しようとも、自殺は自殺である。


そう考えていた僕は、やはり浅はかだった。


今はこう想う。


自殺する事は、悪くはない。
この世が厭になれば死ねばよい。


問題は、死ぬ直前に何を胸に抱いて逝くか、である。


百歳を超え、大往生しても、召される間際まで、死にたくない!死にたくない!死にたくない!と生に執着するならば、安らかな死後は無いと思う。
二十代で、高所から転落しても、絶命する瞬間に、我が人生悔いなし、と悟るならば、昇天する気がする。


自殺もしかり。


自殺がいけないと云うのは、その殆どが、恨み、辛み、妬みで世を呪って死ねからだと思う。
たとえ自殺で有っても、その動機が、純粋な好奇心ならば、あるいはすんなりと昇天するのではないか。
希望を持って、ワクワク浮き浮きしながら、明るく自殺をすれば。


おそらくは、空海もそうだったかも知れない。


微塵の恐怖心も後悔もなく、仏に成ることの歓喜のうちに生を絶ったのではないだろうか。


自殺しようが、事故死しようが、病死しようが、他殺されようが関係はない。
死に入る瞬間の心境でアノ世の世界は千差万別する。



長い長い前置きになりましたが、今から僕は死にます。
僕の死に、深い訳がないのは分かって頂けたと思います。
ただの好奇心です。
僕の興味はこの世にはなくあの世にあります。


今の僕は死ぬという事に強烈な希望を抱いています。


今から『エス●ロン●カ』を200錠呑みます。
致死量は100錠だけど、万全を期して。


死に行く自分を見詰めながら逝きます。


みなさま、さようなら。



2007年、11月3日 


●午前3時18分。


薬を150錠全部のむ。
途中で喉が拒否をして、呑むのに20分以上かかってしまった。
残り50錠ほど残ったが、無理そうなので残す。
身体の変化な無し。


●午前3時27分。
冷や汗が出てきた。
手と足の指先が冷たくなる。
立ってみたら、多少浮遊感がある。


●午前3時56分。
寒い。
震えが止まらない。
指先が氷りのように冷たい。
キーボードが打ちにくくなった。


午前4じ5分。
呼吸が少し苦しくなった。
さっきからずっと深呼吸を続けている。
遠くて鈴のような音がする。


午前4時


やばい。こわいどうしようこわい


ごz






にほんブログ村 小説ブログへ  

Posted by koujun at 04:26Comments(0)TrackBack(0)小説