2007年12月20日
瞳で泳ぐ蚊

最近、人に見られているような感じがするこうじゅんです。
今日の沖縄は頗るよい夜空。
こんな日は屋上に登って、呆~っと星々を眺めます。
少し肌寒い中、寝っころがって、眺めます。
そんな時でも視線を感じるんだよな~、夜空の遥か向こうから。
何なんでしょう。
何億光年も離れたアノお星様に住む王子さまが、僕の事を見ているのでしょうか。
なんて、浪漫チックな事を考えてしまいます。
あ、しまった、お姫様にしとけば良かった。
お姫様と言うことにして投げキッスをしてみよう。
何、やってるんでしょうか。
話しは変わりますが、僕は飛蚊症です。
知ってます?飛蚊症。
明るい所を見ると、目の前に糸くずや、小さな丸い点が浮いている様に見える眼の症状です。
なんでも、眼球内にある硝子体という場所が、何らかの原因で濁ると、その濁りの影が虫や糸くずなどの『浮遊物』が飛んでいるように見えるらしいのです。
この『浮遊物』が虫などに見える事から、飛蚊症というらしいのです。
飛蚊症のは、胎児の時に硝子体が濁ってしまって、生まれた時から飛蚊症になってしまった人と、後天的に硝子体が濁って飛蚊症になるタイプがあるそうで、後天性の飛蚊症は稀に失明の可能性もあるようです。
コワイですね。
僕のは、物心ついたときから、糸くずのようなモノや、埃のようなモノが見えていたので、先天性の飛蚊症だと思います。
子供の時から見えるこの『掴めない糸くず』が気になっていて、友達に話してもそんなモノは見えないと云われ、嗚呼、僕は特別なモノが見える特別な子だったんだと思っていたのに飛蚊症。
なんかガッカリです。
いつもはもう慣れてしまって、飛蚊症の事は気にならないのですが、この日記を書きながら飛蚊症の事を考えていると、やたらと気になってしまいます。
今、僕の左目に、ポツンと小さな丸い点が見えるのですが、気のせいか、さっきより少し大きくなっているような気がするのです。
注意深く観察していると、少しずつ少しずつ大きくなって行きます。
球体である事がはっきりと確認できるくらいに大きくなってきました。
なんだか地球のようです。
グーグルアースの様にも見えます。
アメリカ大陸のような模様と、ユーラシア大陸のような模様が見えて・・・。
ん?あれは日本かな。
その下にあるのは・・・沖縄みたいだな。
だんだんと大きくなってきましたよ。
沖縄みたいですね、那覇かな。
あ、あれは僕の家です!!
僕の家の屋上です!
僕が寝転がって、僕を見ています!!
寝転がった僕が投げキッスなんかしています。
もの凄く恥ずかしいです。
こちらもどうぞ
http://www.geocities.jp/pandacopanda1/
2007年12月18日
『私は人を食べる』
『私は人を食べる』
人を食って生きてきたのだから
人に食われて生きていこうよ
父を食って生きてきたのだから
父に食われて生きていこうよ
母を食って生きてきたのだから
母に食われて生きていこうよ
沢山の人たちを食って生きてきたのだから
沢山の人たちに食われて死にたい
私を食ってください
私を食らってください
頭の右手も左手も
心臓も大腸も骨も血も
食らって食らって食らってきたから
食われて食われて食われたい
人を食らって生きてきたくせに
人に食われまいとする餓鬼にはならぬように
(森田ぢゆ 詩集『からから峠に日が堕ちて』より抜粋)
こちらもどうぞ『琉球舞台』
人を食って生きてきたのだから
人に食われて生きていこうよ
父を食って生きてきたのだから
父に食われて生きていこうよ
母を食って生きてきたのだから
母に食われて生きていこうよ
沢山の人たちを食って生きてきたのだから
沢山の人たちに食われて死にたい
私を食ってください
私を食らってください
頭の右手も左手も
心臓も大腸も骨も血も
食らって食らって食らってきたから
食われて食われて食われたい
人を食らって生きてきたくせに
人に食われまいとする餓鬼にはならぬように
(森田ぢゆ 詩集『からから峠に日が堕ちて』より抜粋)
こちらもどうぞ『琉球舞台』
2007年12月18日
脳内ケータイ劇場
いずれ役者と云う職業は歴史の教科書の中だけの存在になるだろう。
飛脚のように。
近い将来、脳にケータイ端末を埋め込み、脳内電流をデータ化して、テレパスの様に遠隔の相手へ音声を送る時代が100%来るでしょう。
確実に。
軽薄で幼稚なSF的発想ではなくて必ずそんな未来になる。
そうなると、当然の如く脳内で造り出された映像も送信出来る様になり、優秀な脳内クリエイターは、脳内で、好きなように役者を造り動かし、想いのままに舞台背景を造り出し物語るでしょう。
そしてそれを観客は受信して、直接、脳味噌の中で観る。
テレビや映画が普及しても舞台が存在し続ける事が出来るのは、それは二次元メディアには無い臨場感をライブでは体感できるからだと僕は思う。
とろこが、トコロが、所が、処が!!
脳味噌で直接映像を観る事が出来る以上の臨場感って考えたコトあります?
ドーパミン、ミン!ミン!!
セルロイドンドンドーン!!
セルロイドは関係ないけど。
つまり、脳内劇場が普及した未来において、生身の人間が演じる演劇と云うのはアナログ過ぎて観る人間が居なくなる。
つまり、役者は絶滅する。
そんな2108年。
脳内に電子端末を埋め込む事が出来ない貧民層が集まるコミュニティで、ひっそりと『生身の人間が演じる演劇』の劇団があった。
トビムシ「座長!解散ってどういう事ですか!」
アカヒゲ「・・・」
トビムシ「答えて下さい!」
スモモ 「トビムシ!座長にも考えがあるのよ」
トビムシ「スモモ!お前はそれでいいのかよ!」
スカトロ伯爵「ハハハハ、何を騒いでおる、ド貧民どもらが!」
トビムシ「お前はスカトロ伯爵!」
http://www.geocities.jp/pandacopanda1/
飛脚のように。
近い将来、脳にケータイ端末を埋め込み、脳内電流をデータ化して、テレパスの様に遠隔の相手へ音声を送る時代が100%来るでしょう。
確実に。
軽薄で幼稚なSF的発想ではなくて必ずそんな未来になる。
そうなると、当然の如く脳内で造り出された映像も送信出来る様になり、優秀な脳内クリエイターは、脳内で、好きなように役者を造り動かし、想いのままに舞台背景を造り出し物語るでしょう。
そしてそれを観客は受信して、直接、脳味噌の中で観る。
テレビや映画が普及しても舞台が存在し続ける事が出来るのは、それは二次元メディアには無い臨場感をライブでは体感できるからだと僕は思う。
とろこが、トコロが、所が、処が!!
脳味噌で直接映像を観る事が出来る以上の臨場感って考えたコトあります?
ドーパミン、ミン!ミン!!
セルロイドンドンドーン!!
セルロイドは関係ないけど。
つまり、脳内劇場が普及した未来において、生身の人間が演じる演劇と云うのはアナログ過ぎて観る人間が居なくなる。
つまり、役者は絶滅する。
そんな2108年。
脳内に電子端末を埋め込む事が出来ない貧民層が集まるコミュニティで、ひっそりと『生身の人間が演じる演劇』の劇団があった。
トビムシ「座長!解散ってどういう事ですか!」
アカヒゲ「・・・」
トビムシ「答えて下さい!」
スモモ 「トビムシ!座長にも考えがあるのよ」
トビムシ「スモモ!お前はそれでいいのかよ!」
スカトロ伯爵「ハハハハ、何を騒いでおる、ド貧民どもらが!」
トビムシ「お前はスカトロ伯爵!」
http://www.geocities.jp/pandacopanda1/
2007年12月13日
味覚
カミングアウトします。
と云うほどの事ではないが、実は僕、軽度の味覚障害でして、あまり味を感じる事が出来ません。
さいわい嗅覚は少しよいので、腐っているかいないのかくらいの識別はできます。
甘い、とか、辛い、とか、苦い、とか、塩っぱい、とかがワカラナイのです。
何を食べても、『おろっぽい』のです。
『おろっぽい』がどんな味なのか、僕以外の人は知らないでしょう。
僕は味覚障害ですが、無味じゃない所に救われています。
カレーを食べても『おろっぽい』
ステーキ食べても『おろっぽい』
サラダも煮付けも『おろっぽい』し、うどんもおそばもラーメンも、みんな『おろっぽい』味なのです。
僕だけが知っている味なので、勿論『おろっぽい』味がどんな味なのか辞典には載っていません。
因みに、『おろっぽい』という言葉は僕が勝手に付けたのではなく、物心ついた時から知っていました。
日本人は、色々忘れたモノがあるらしいけど、多分『おろっぽい味』も日本人が忘れたモノの一つだと思います。
『おろっぽい味』は気分によって変わります。
楽しいときは『たのっぽい』味になりますし、悲しいときは『かなっぽい』味になります。
怒りに震えている時には『いかっぽい』味に成りますが、『烏賊っぽい』味では無いので、注意が必要です。
『いかっぽい』味は、どちらかと云うと蛸っぽい味です。
こちらもどうぞ『琉球舞台』
と云うほどの事ではないが、実は僕、軽度の味覚障害でして、あまり味を感じる事が出来ません。
さいわい嗅覚は少しよいので、腐っているかいないのかくらいの識別はできます。
甘い、とか、辛い、とか、苦い、とか、塩っぱい、とかがワカラナイのです。
何を食べても、『おろっぽい』のです。
『おろっぽい』がどんな味なのか、僕以外の人は知らないでしょう。
僕は味覚障害ですが、無味じゃない所に救われています。
カレーを食べても『おろっぽい』
ステーキ食べても『おろっぽい』
サラダも煮付けも『おろっぽい』し、うどんもおそばもラーメンも、みんな『おろっぽい』味なのです。
僕だけが知っている味なので、勿論『おろっぽい』味がどんな味なのか辞典には載っていません。
因みに、『おろっぽい』という言葉は僕が勝手に付けたのではなく、物心ついた時から知っていました。
日本人は、色々忘れたモノがあるらしいけど、多分『おろっぽい味』も日本人が忘れたモノの一つだと思います。
『おろっぽい味』は気分によって変わります。
楽しいときは『たのっぽい』味になりますし、悲しいときは『かなっぽい』味になります。
怒りに震えている時には『いかっぽい』味に成りますが、『烏賊っぽい』味では無いので、注意が必要です。
『いかっぽい』味は、どちらかと云うと蛸っぽい味です。
こちらもどうぞ『琉球舞台』



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