2008年07月09日

黒い経験 ~弐~

前代未聞のテレビタレントによる猟奇的殺人事件の報道は加速を増した。
霞原蝶々は何故、妊婦を殺害したのか。
憶測が憶測を呼んだ。
しかし、どれも推測の域を出るものは無かった。


曰く、殺害された篠山瞳が身篭っていた子供は、実は霞原蝶々が付き合っていた男性の子供で、三角関係の縺れによる殺害である。


曰く、霞原蝶々と篠山瞳はレズビアンの関係で、恋人の篠山瞳が霞原蝶々を裏切って身篭った為の嫉妬による殺害である。


曰く、タレントである為に表立っての出産が出来ない霞原蝶々の子供を、篠山瞳が『代理出産』しようとしていたところ、突然、篠山瞳が親権を主張し、それが認められなければ事実を世間に口外する事を仄めかした末の殺害である云々。


しかし、どれも事実とは程遠い作り話しに過ぎなかった。
警察の調べでは、篠原蝶々と篠山瞳の関係に接点を見つけ出す事は出来なかった。


動機なき殺人。


「あなたは他の人とは違うわね。目を見れば解るわ。共感は出来なくても理解はしてくれそう。少なくとも理解しようと努力はしてくれそうね」
「勿論。僕は君の唯一の理解者だよ」
精神鑑定官、雨宮辰二郎は安心感のある心地よい低音で答えた。


三十年以上も犯罪者の心の真意を見貫いてきた雨宮の眼光は、霞原喋々の瞳孔を捕らえて離さなかった。
鷹のように鋭く些細な所作をも見抜く雨宮の眼光は、どこか狸を思わせる間の抜けたつぶらな瞳に奥に隠れている。
さらに、優しい低音の声色に加え、殺気を漏らさないその瞳が相手の油断を誘うのだ。


霞原蝶蝶と雨宮辰二郎しか居ない、狭い取調べ室に短い沈黙が漂った。


「…あなたを信じてもいいのね。私が何を言っても絶対に信じてくれるって」
「ああ、勿論だよ」


雨宮は柔和な笑みを浮かべた。
  

Posted by koujun at 09:26Comments(0)TrackBack(0)小説