2008年02月14日

空飛ぶマリー。

趣味で小説を書いていると、何を書いてもいいという錯覚に陥ってしまう。
実際、プロじゃないんだから何を書いてもいいんだけどね。
例えば、普通なら一、二行で書き終わってしまう描写をねちねちと書いたらどうなるんだろう。
何でも無いごく普通の日常の一瞬を、こと細かに書いてみる。
ごくごく普通の日常を、スケッチ感覚で。




美しい自慢の髪もバッサリと短く切られていた。
か細い両の腕は後ろ手にきつく縛られている。
身窄らしい貧素な服を着ていても、彼女は堂々と前方に聳え立つギロチン台を見据えて歩いた。
途中、死刑執行官の足を踏みつけた彼女は、己の人生で最後の言葉を発した。
「あら、ごめんなさいね。わざとじゃないのよ。わざとじゃ」
1793年、10月16日。
パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれ、後にコンコルド広場と呼ばれるようになるこの場所で、マリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュは斬首された。


ギロチン台の下まで来ると、マリーは膝を折って首添台に首を置こうとした。
「待て」
先ほど足を踏まれた死刑執行官が制する。
執行官はマリーを捕らえている執行人に何やら耳打った。
執行人は顔に一瞬の戸惑いを見せた。
しかし、執行官は残忍な光を目に宿し、やれ、と顎で命じた。


通常、ギロチンはうなじを天に向け、囚人は地面を見る格好で行われる。
ところが、マリーは咽喉が天を向く形、つまりギロチンの刃が見えるような不自然な格好で首を固定された。
落ちてくる刃が良く見えるように。
マリーの死に様を見ようと集まっていた野次馬の民衆は、遠巻きにその演出にどよめいた。
非難するものは誰も居ない。
それほどまでにマリーは民衆に疎まれていた。
思わず、マリーの口元に自嘲の笑みが浮かんだ。
マリーは何も考えないようにしていた。
ただ、青い空だけを見ていた。
その青い空に一瞬、鳥が飛び過ぎった。
あれは、鳩かしら。鷹かしら。


執行官の号令でギロチンの重い刃を支えていた太い縄が切断された。
分厚い刃は、自重でぐんぐんと地面に引き寄せられる。
刃に括りつけられていた縄は、首を切られた蛇の様に暴れて空に舞った。
すぐさま刃はマリーの柔らかい咽喉を捉えた。
そしてそのまま広頚筋を引き裂いた。
この時点ではまだ出血はしていない。
続いて、甲状舌骨筋を分断して頚動脈と頚静脈、そして背骨の中を通っている椎骨動脈が切断された瞬間、頚動脈と椎骨動脈の二本の動脈から鮮血がほとばしる。
尚もギロチンの刃はマリーの中を突き進む。
胸骨乳突筋を切り裂き、僧帽筋まで到達した。
首の皮一枚である。
38歳というまだ若い心臓の血圧に、半分まで切り込まれた僧帽筋は耐えることが出来なかった。
ギロチンの刃が、マリーの白く細い首を完全に断ち切る前に、僧帽筋は血圧の勢いに負けた。
マリーの首は噴血に乗って天高く舞った。
脳への酸素が遮断された瞬間、人は意識を失う。
天に高く高く舞ったマリーは、青空を飛び過ぎった鳥が真っ白い鳩だったという事を、認識する事は出来なかった。
転がり落ちたマリーの首には、民衆の歓声は聞こえなかった。




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