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2009年02月07日

黒い経験 参

今時珍しい艶のある黒曜石の様な長い髪。
同様に松煙墨の様な黒く大きな瞳。
それとは対照的に青女の様な白い絹肌。


おおよそ殺人とは無縁の人生を歩む類の人種であろうと思われる清楚な女性。


それが、妊婦を殺害してその膨れ上がった腹の中から生きたままの胎児を取り出した殺人者。
であると云う事実を、雨宮辰二郎は冷静に受け止めていた。
二十年以上も犯罪者の精神を鑑定してきた者にとって、霞原蝶々が引き起こした事件も数多ある事例の一つになるに過ぎないのだ。


「…あなたを信じてもいいのね。私が何を言っても絶対に信じてくれるって」
「ああ、勿論だよ…。ようやく話す気になったんだね」
「ええ」
「ありがとう。じゃあ、聞かせてくれ。どうして篠山瞳さんを?」
殺したのだ。


「天命」
「てんめい?」
「そう。天命」
「……何か、聞こえて来た。って事かい?神の声の様な」


雨宮辰二郎の言葉を霞原蝶々は、ふふふと笑いで止めた。


「違うわ。私の事を気違いだと思っているの?」
「いや」
「あなたはこの世に何をしに生まれてきたの?」


雨宮辰二郎はちらりと霞原蝶々の上身書に目を下ろした。
たしか、特定の宗教団体に入っていたと云う事実は無かった筈だが。


「人間はね、雨宮さん。この世に生まれて来るのは何かしらの意味があるの。そういう話、聞いた事、あるでしょ?」
「ああ」
「どう思います?」


雨宮辰次郎は細いフレームの老眼鏡を外し、露原蝶々を穏やかに見据えた。


「…精神鑑定士の立場を外して、僕個人の意見を言わせてもらうと、この世に生まれて来るのは確かに意味が有る事だと思うな。意味というより使命だな。魂の経験を積む為にね」
「魂の経験。良い事を言うわね。そうなのよ、人は経験を積むために何度も何度も生まれ変わるの。私があの人を殺したのも、そういう事なのよ」
「どういう事?あまり脈略が」
「生まれてくる事には意味がある。やるべき事が有って人は生まれて来る。色々な言い方があるわ。今、あなたが言ったように魂の経験、とか。…でもね、人は綺麗事でしか世界を見ないから…。自分が産まれてきた理由は、人を救うためだとか、人徳を磨くためにとか、そう思い込みたいのよ」
「つまり…。君は篠山さんとその子を殺す為に?」
「別にあの人を殺す為じゃないのよ。誰でも良かったの。私は人を殺して、死刑で死ぬ経験をこの世でしなくてはならなかったの。今までして来なかったから」


露原蝶々の瞳は慈愛に満ちて潤んだ。



「………人間はね、雨宮さん。人を殺す経験も、人を騙す経験も、騙される経験も、親を殺す経験も子を殺す経験も国を憂う経験も国を売る経験も長生きする経験も貧乏に成る経験も金持ちに成る経験も人肉を食べる経験も神を信仰する経験も神を冒涜する経験も薬物に溺れる経験も人に夢を与える経験も人に尊敬される経験も人に軽蔑される経験も一生処女で過ごす経験も男根を切り落とす経験も放火して興奮する経験も孤児に愛情を注ぐ経験も他人の秘密を暴く経験も女になって愛される経験も男になって女を犯す経験も快楽で生き物を殺す経験も平和の為に身を尽くす経験も愛する人を殺し殺される経験も障害をも持って生まれてくる経験もそして…他人に殺される経験も………しなくては成らないのよ。魂の経験に善悪はないのよ。だからね、雨宮さん。あなたはこれからも沢山の人殺しの心を覗き見していくワケでしょ。だからね、これから沢山出てくる人殺しのどうしようもない気持ちを少しは理解してあげてね。それはもう…天命なのだから」


精神障害の疑いがあり。
極刑の判決は引き伸ばすべきである。
雨宮辰二郎はそう判断した。


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Posted by koujun at 03:24│Comments(2)小説
この記事へのコメント
半分あきらめかけてました。

やっと続きが読めました。

久しぶりに覗いたら宝物を見つけた気分です。
Posted by グース at 2009年03月29日 12:09
そう言って頂けると嬉しいです。

今後はグースさんの為だけに書きます。

これからもよろぴくお願いしますm(_ _)m
Posted by こうじゅん at 2009年03月31日 10:42
 
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